夢が沢山の障壁によって潰えそうになり、その度に、どんな困難でも立ち向かっていく鉄平さんを見る度、本当に晴れやかに伸び伸びと鉄に向き合っている、違う未来の鉄平さんを夢想したりしていました。また、そういった姿を殆ど見ることなく最終回を迎えてしまうのが残念でありました。
けれど最終回を観た後、そういった欲求は不思議とどこかに消え去ってました。
お話の終わり方というのは、ドラマに限らず本当に難しいものであると思います。小説で言うなら「読後感」に相当するものに一番大きな影響を及ぼすのはやはり、ラストだと思うから。締めまで美味しく戴けるのがいいのです。レストランだったら、メインだけ食べて、締めのお茶や甘いものを他所に求めることもできるけど、物語ではそうはいかないので。
好きなドラマであるほど、終わり方には注目してしまいます。ちょっとした期待さえ寄せます。終わりよければ全てよしという感じで、終わりをよく迎えられたら、途中のキツさも紛れたりします。
「華麗なる一族」のラストも、一体どういう風に終わるのか、すごく興味がありました。というか本当は、結構とっちらかって終わっちゃうんじゃないかな~…と思う部分もあった。でも、始末ついてたなぁ。鉄平さんがセンターにいて、ちゃんと。
話の流れは大概知っていたのですが、それをどう見せるかにすごく興味があった。そしてストーリーを知っていても、真実が分かるシーンでは、グワ~ッ!っと来ました。引き込まれた。あの壮大なテーマ曲が、あそこで流れるぞ!って分かってても、くるぞくるぞって思ってても、そのタイミングがきたらグワ~ッ!と。ええ。
しかし家族がいる人に、自害されると辛いものがあるなぁ…。わたしは原作を読んでおりませんので、原作の鉄平さんがどのようにその道に至る思いになるかは知らない。そのせいか、ちょっと自分のなかで補完しきれないところはある。
とりあえず、「経営者」としての自分も、「父」としての自分も、その姿になる端を発しているのは「大介という父の子」としての自分であり、最期はその核の部分のみの、シンプルな状態で選んだ道が、自害だったのかなぁという気はする。
大介は大介で、「息子でないもの」=「父の子」を追い詰めることが、自分の「父」そのものからの呪縛を断ち切る・打ち勝つ方法であったのに、死を選んだ子供は「父の子」でも「父」でも何でもない、「自分の子」であったという。
死んだ体は一つしかなかったのに、一人の人間だったのに、自害した方も、させるに至った方も、本来とは全く違う姿をそこに見たまま最期を迎える。「皮肉」の一言じゃ足りなさすぎる。
うーん、なんかどうも視点が一族寄りになってしまう。裁判以降は父子のビジネスや世間の情勢があまり描かれてなかったし、自分自身詳しくないから、どうしても一族の視点で分析しようとしちゃう。そういった意味ででも、全十話というのは短いです!
それにしても太郎が!万俵太郎君にはまいったね!銀平さんの膝の上にのっかってる時なんかもう!もうもうもう!