「武士の一分」の感想を~!とずっと思ってるんですが、このままズルズルと書けなくなってしまいそうなので、手短に書いておきます。というわけで、ここでご挨拶を。また、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を!
以下から感想です。ネタバレあるかもしれません。
山田洋次監督の作品は、「男はつらいよ」シリーズを何作か観たことある程度のものなので、それが山田監督テイストなのか、はたまた他の何かのテイストなのかは分からないけれど、要するにこれは「大衆演劇」なんだなと思った。
そこにある日本らしさとは、時代の衣装でも、美しい情景でもなく、大昔よりさらに昔からある「大衆演劇」の「泣かせ」ではないか。前二作は観たことないので分からないけれど、今作はそれらと比べてもシンプルで、鄙びたつくりなのではないかと思う。
「大衆演劇」なんだから、これはひどくエンターテイメントだ。そこがすごい。めっちゃエンターテイメントなのに、その息吹は確かながらも静やかである点。「エンターテイメントとは、過剰な親切である」という錯覚さえ抱きかけていたわたしの脳みそには、それはとても新鮮だった。そしてこの静やかさは、三村新之丞の武士の一分につながっている。
「葉隠」にある武士道の一節が誇張され、「武士イズム」となった現代の武士道の観念はひとつの「美学」と名を代えることができようが、三村新之丞にあるそれは、美学ではない。三村は、その内に秘める一分を立てたに過ぎない。武士であったから当然のことをしたまで。そこにはイズムも無ければ、ヒロイックな情念もない。
檀れいさんは方々から漏れ聞く好評に違わぬ良さで、わたしはこの方をよく知らない分、加世として深く没入して観ることが出来た。この作品において重要なファクターの一つである、加世の幼い頃から秘めてきたささやかな三村への愛が、この上なく「純粋」に映ったのも、檀れいさんの知名度も交えた女優としての初々しさと、その佇まいがあってこそと思った。この「純粋」さがなければ、「武士の一分」の世界はうまく閉じなかったと思う。三村新之丞に美学は無けれども、加世と、その夫との愛には美が描かれている。笹野さんの良さも言わずもがな。
で、木村さんはと言うと、これもまたナイスであった。冴えてた。ブレてなかった。
木村さんの演技については、前(結構最近まで)は、やいのやいのと言ってたのだけれど、今は視点というか、自分の中の価値観がちょっと変わったような気がしている。木村さんの演技は、まぁ「いつもキムタク」という風に言われてるし、自分もそう思ってたのだけど、例えば、三村新之丞と、久利生公平と、神崎次郎と、里中ハルと、新海元を並べて、「いつもキムタク」ならそれらは全部同じ人間か?っつーと、とてもじゃないけど自分にはそう思えない。全員違う人間として記憶に焼きついてる。じゃあ、「いつもキムタク」って何ぞや?って考えになりだして。
もしかしたら、他の人には例えば、久利生公平と神崎次郎を挿げ替えても、それぞれのドラマは成立するものなのかもしれないけれど、わたしの中ではそういう取替えの効かない一人の人物として、ちゃんとその物語の中に生きている。
今回見て思ったのは、木村さんて、けして巧い人ではないのかもしれないなということ。とても器用な人で、なんでもこなせる人ではあるが、何でもこなせるがゆえに、それよりさらに高みへと行くためには、少々ゆっくりめのテンポの方がいいのかもしれない、と。演技はテレビドラマでの披露が殆どだったけど、もしかしたらそのスピードの速い現場より、ゆっくりめな所の方が、もっと良い成分が抽出される気がした。